伝える。想いの先〜2018石巻〜


海の日の海原〜2018石巻〜に引き続き、
7月15〜17日でうかがった石巻への旅ブログです。

金華山から女川港へ移動しランチタイム。
はじめて訪れた時とはうってかわって、
地盤が底上げされていたり、市場やショッピングモール等が立ち並んでいました。
連休中というものあり、とても賑わっていました。


余談ですが、
女川で初めて食わず嫌いだったウニを克服!
同じく食わず嫌いだったツアー参加者の挑戦に便乗して。



あんなに嫌だと思ってたものだけど、
普通に美味しくいただいている自分がいました。
そして、この日の夕食は石巻の名物おばちゃんさかえちゃんのお店でもウニ!
今回の旅の思わぬ副産物でした。
ウニも歓迎してくれたのかな?!
私もこれで一つ大人になれたのは間違いない!



さて、本題に戻ります。。。

道中は海沿いを走る事も多かった今回の旅、防波堤を作成中だったり工事現場のような景色をよく目にしました。

3.11以降に生まれた子供達の目にはこの光景がどう移っているのだろうか。

被災地の復興や自然災害に関して意見を述べる程の知識や情報量は私にはありませんが、
このことは、今回の旅で訪れた石巻と帰路で車でまわった福島の光景を見ながら一番感じた事でした。


実際に体験してないとわからない事。
伝える事の難しさ。。。


女川港の後にうかがった大川小学校。


(上の写真は、今回以前に伺った際のものです。)


奇偶にも、以前大川小学校を案内してくださった
遺族会の只野さんに遭遇しました。

※大川小学校について、詳しくはこちらをご覧ください。
 →小さな命の意味を考える会

有り難い事にお話を再度聴く事が出来ました。
連休中の暑い中、語り部として活動されている姿には、
ただただ頭が下がる想いがします。


今回は立ち入り禁止とされている学校の中まで
見せていただく事が出来ました。



津波によって持ち上げられた1階の天井。




2階の先ほどの天井の上にあたる教室

河川を逆流して襲いかかって来た津波の猛威。

写真だとなかなか伝わりにくいですが、凄まじかったです。
爆撃を受けた建物を見ているかのようでした。



体育館へ移動する渡り廊下。
(けんさんのFBから拝借した写真)

「津波はただの水じゃなかった。」
この津波で無事だった只野さんの息子さん哲也くんの言葉だそうです。

正直、見れば見る程、聞けば聞く程、言葉が詰まります。

私自身、善し悪しを問いただす立場でもない。
それでも、悲惨な出来事で終わらせてはいけない。

ささやかではありますが、
こうしてブログに載せる事が知っていただく1つのキッカケに繋がればと思います。

大川小学校でもお花をお供えし、
手を合わせ、ご冥福をお祈りさせていただきました。





そして、一同は日和山へ。
夕方になってしまいましたが、
今回の旅の一番の目的でもあった鹿島御児神社への個人的な用事も
滑り込みで無事に済ませる事が出来、一安心。


夜も石巻のお世話になった方々にお会い出来、
楽しいひとときを過ごせました。


翌日は、さをり織りの織音(オリオン)で2度目の機織り体験!
やっぱり今回も夢中になりました。


皆さん黙々と楽しんでいます。笑

今回の先生との集合写真
みんな良い笑顔!
(この写真もけんさんFBから拝借)

私と同じく、あい先生でした。
色の取り合わせがとっても素敵で的確なアドバイスをいただきました。
終了後、気に入って購入した作品もあい先生のものでした。
愛用します♡

作品が気になる方、機織りをしてみたい方、は是非!
 →織音HP


楽しい時間はあっという間。
福島県の国道6号を南下し、原発災害期間困難区域を抜けての帰宅。

 相馬インターで野馬追のジオラマ発見。
小さい頃に見た野馬追。また見たいです。


帰宅困難区域

写真はあまり撮りませんでしたが、まだまだ時が止まったままの場所もあり、
漫画「いちえふ」に繋がる世界が目の前に。。。
目に見えない放射能の被害もまだ実在しているのを目の当たりにしました。
東京と変わらない空なのに。

この時の事を思い出すと、たくさんの疑問と眠気で頭の中がいっぱいでした。
そして、あっと言う間に東京へ無事到着し、普段の生活へ。。。

何気ない日常も、こうして実際に見て感じてきた経験が織り込まれ、
未来を拓く糧になっているのだと私は信じています。




病み上がりにも関わらず、
旅をコーディネート&同行してくれたけんさん、

送り出してくださった皆様、お世話になった皆様、

どうもありがとうございました!








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